観射亭

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観射亭について

Japanese

美しき名園に密かに息づく、武の鍛錬場という一面

「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」で三ツ星評価を得ている「岡山後楽園(以下、後楽園)」は、約300年前に岡山藩主・池田綱政公に命じられ、津田永忠により造られた大名庭園です。14年の歳月をかけて造られた広大な園内に、鯉を泳がせた「沢の池(さわのいけ)」や、歴代藩主がくつろいだ休憩所「廉池軒(れんちけん)」など数々の見どころを配し、園路を歩きながらその景観を楽しめるようになっています。

日本三名園にも数えられる見事な庭園ですが、実は武術の鍛錬場という一面もあるのです。その面影を今に伝えている建物のひとつが「観射亭(かんしゃてい)」です。ここは、かつて藩主が家臣の弓の腕前を観覧する「武芸上覧」の場でした。武芸上覧とは、家臣の太刀や居合い、乗馬、弓などの稽古を奨励するための催しで、家臣が藩主の前で日々の稽古の成果を披露するものでした。そうした行事を通して、藩主は家臣に関心をもっていることを示し、家臣は武芸の腕を磨くことで忠心を示し、主従のきずなを確認したといわれています。

美しき庭園に密かに息づく「武の鍛錬場」という一面は、今も園内に残り、知る人ぞ知る隠れた名所として見学することもできるのです。

肅然婷立于美麗名園內武芸訓練場景

在「米其林綠色指南·日本」中被評為三星景點的「岡山后樂園(以下,被稱為后樂園),是在大約300年前,岡山藩主池田綱政命令家臣津田永忠建造的有名庭園.在這個經過十四年歲月建成的廣大庭園內,建有鯉魚自在游來游去的「澤池」,以及其他供厤代藩主休閑養性等很多景點.在園內可以一邊散步一邊欣賞這些优美的景觀.

后樂園不僅是日本有名的三大名園之一,另外還具有武朮訓練場的一面.這一點從保存到至今的建筑物之一的「觀射亭」上可以看出來.這里曾經是以前藩主臣屬進行箭朮武芸表演的地方.所謂武義表演,是為獎勵臣屬的刀劍,馬朮,箭朮訓練成果而舉行的活動,臣屬在藩主前展露平時的訓練成果.通過這些活動,可以顯示出藩主對家臣的關心,家臣也會通過提高自己的武芸來表示自己的忠心.以此來互相确保主臣關系.

肅然婷立于美麗名園內武芸訓練場景,至今還保留在園內,只有懂行人才知道它的存在的「觀射亭」,現在被作為有名隱密景點被參觀.

休憩所となった弓場で、花に囲まれ古きを偲ぶ

園内の正門をくぐってすぐ、園路を左手に進むと見えてくる、木造平屋建て、瓦と銅板葺きの建物が「観射亭」です。第二次世界大戦の戦災で焼失しましたが、詳細な資料や絵図に基づいて、1960年に往時の姿そのままに復元されました。その際、備前焼の人間国宝・山本陶秀が手がけた陶蓋が、銅板葺きの屋根の頂点の覆い(天蓋)として用いられています。

隣接する弓場には、「観射亭」同様に復元された屋根付きの射場や、的を置く的場があります。射場から的場までの距離は十四間(約25m)。的場の傍らには、射られた矢の判定をする人が座るために造られた、石囲いの矢見塚が残っています。

現在已成為休息處的射箭場,被鮮花環繞,讓人怀舊

進入公園正門后馬上沿園路向左前行,就可以看到一個蓋有瓦片和銅板的木制平房.這就是「觀射亭」.在二戰時被燒毀,后來按照詳細資料和圖紙,在1960年按原樣進行了修复.這時,把備前陶瓷的人間國寶·山本陶秀制作的陶蓋,放在銅板屋頂之上,作為房頂被使用.

鄰接的射箭場,也有同「觀射亭」一樣被修复的帶有房頂的射箭場和靶場.射箭場道靶場的距离為14間(大約25米).在靶場旁邊,有用石頭圍起來的觀箭的石堆,就是為判定中靶結果的人做成的.

また、弓場の少し北側には長さ約100間(約1800m)の馬場があり、その中央南側には、藩主が家臣の馬術を上覧していた「観騎亭(かんきてい)」が建っています。

いずれも武のための施設ですが、「後楽園」が藩主の静養の場として築庭されたことから、藩主の休憩や宿泊に供する「御茶屋」がそれぞれ設けられています。

さらに弓場や馬場の周辺では、築庭当時に植栽された「椿畑」「菊畑」「牡丹花壇」のほか、近代になって植えられたソメイヨシノの桜並木などが花開き、四季折々、優雅な趣をも漂わせます。

現在、射場には椅子が配され、休憩所として開放されています。腰を下ろして、遥か300年前の武芸者へと思いを馳せてみるのも一興です。

※後楽園事務所所有書物より

在射箭場北側,有長100間(大約1800米)的馬場.在馬場的中央南側,建造了藩主觀看家臣馬朮表演的「觀騎亭」.

這兩個都是用來練習武芸的設施.但是「后樂園」主要還是作為藩主的休閑圣地建造的,所以在這兩個武朮場都各自還配有藩主休息的「御茶屋」.

另外,在射箭場和馬場周圍, 除了有庭園建造噹時栽培的「香椿田」,「菊花園」,「牡丹花壇」以外,還有近代栽植的櫻花樹.鮮花盛開,四季分明,不禁使人感受到一种优雅的情趣.

現在,在射箭場都配有椅子,作為休息處被開放.可以坐下來歇憩,遐想一下300年前武者的樣子也是很有意思的.

観射亭

観射亭

池田綱政公

池田綱政公

備前岡山藩の第2代藩主。元禄13年(1700年)には津田永忠を責任者として、現在、日本三名園の一つとして有名な「後楽園」を造営。財政難に見舞われていた岡山藩は、綱政が干拓や治水工事を行ったことにより、財政が再建されることとなりました。

津田永忠

津田永忠

江戸時代前期の岡山藩士。岡山藩主の補佐役として、財政再建のための新田開発はもとより、放水路・百間川の開削などの抜本的な洪水対策を行い藩の財政を再建させました。「後楽園」の他、池田光政によって開設された日本最古の庶民学校である、「閑谷学校」の建設も指揮しています。

photo by Reggaeman
From Wikimedia Commons

沢の池

沢の池

園内中央にある池で、左から島茶屋(しまぢゃや)のある中の島(なかのしま)、釣殿(つりどの)のある御野島(みのしま)、白砂青松が美しい砂利島(じゃりじま)があります。中の島と御野島の間には、かつての上道郡と御野郡の郡境があり、今でも石標がそのなごりを伝えています。

廉池軒

廉池軒

戦災をまぬがれた数少ない建物の一つで、池に架かる石橋や対岸の小島なども、往時の姿を今に伝えています。この建物からは沢の池越しに見える松林や曲水と池の段差など、起伏に富んだ景観を眺めることができます。

山本陶秀

岡山県出身の陶芸家。15歳から陶芸を始め、昭和34年に43歳でブリュッセル万国博覧会のグランプリ金賞を受賞。轆轤(ろくろ)の名手として知られ、昭和51年には、紫綬褒章を受章している。平成6年、88歳で死没。